絵描きの日記

考える絵描きの旅の記録や近況報告。

自己紹介。AKIとはこんな人間です。

僕は子供の頃から絵を描いたり、工作するのが大好きです。

 

小学校低学年のときにはドラゴンボールの悟空やドラゴンクエストの勇者を描いて友達におだてられたり、ポッキーなどのお菓子の箱で大型トラックを作って地区のコンクールに入賞したりしていました。(入賞理由は「子供らしい」作品だから)

 

クラスで多少、ものを作るのが上手い子って居たと思います。僕もそんな感じでした。友達にも大人にも褒められるので、成長して他の子供があまり絵を描かなくなっても、描く作業や何かを作る作業を続けていました。

 

 

中学生になると、それまで漠然と持っていた「漫画家になりたい」という夢を真剣に考え始めます。

 

その頃影響を受けていたのは、同世代の多くと同じく、少年漫画でした。 

鳥山明ドラゴンボール)や井上雄彦スラムダンク)の作品を見て、なんで白と黒の線だけであんな世界を構築できるのかと感動して、絵の魅力に取りつかれていきました。

 

 

その後、ストーリーをつくるほうの才能は自分には無いなと悟り、漫画家というよりは絵そのものを描き上げる「イラストレーター」のような仕事に興味が移っていきました。

 

しかし漫画を描くにしてもイラストにしても、僕が中学生時代を過ごした90年代後半の日本は、後に「失われた10年」「失われた20年」と言われる不況の真っただ中。

「1999年7の月」で有名なノストラダムスの大予言が持てはやされたり、とにかく、僕の中学時代の日本というのは、ものっすごい雰囲気の暗い世界でした。もういっそ予言の通り世界がぶっ壊れてくれ、と多くの人が思っているような。音楽も漫画も映画も世紀末的な、退廃的なものが多かったように思います。

 

中学生の時分でTVから流れるニュースの全てを把握することはできなかったけど、この世界が暗い、安心できない世界であることは感じていました。

それに加えて、自分が夢を見てしまった漫画家やイラストレーターなんてのは皆さんご認識のとおり、そもそもごく一握りの人間しか成功して稼ぐことはできません。名乗るのは自由だけど、それ一本で生活するなんて成り立たないことが多い職業です。

ダメだったときに一人で自立して生活する術があるのか?

絵を描く仕事にも就きたいけど、自立できないのも嫌だった。親に迷惑かけたくない。

 

だから中学生ながらに、何か仕事に繋がる資格を取っておこうと考えたんです。

手に職ついてりゃ不況にも強いだろう、と。

絵描きはダメでも、食いっぱぐれることはないだろう、と。

 

幸い、数学は得意とは言わなくても割と抵抗がなかったし、小学校のクラブ活動はパソコンクラブでクラブ長だったし、100分の1ミリの加工精度を出す職人気質な世界に漠然とした憧れもありました。それと、機械に実際に触れて仕組みを理解することは将来自分でSF作品を描くときのためになるかも、なんてことも考えていたように思います。

そういうわけで、何かしらの技能士を目指して専門的な勉強が出来るよう、進学先の高校は普通科ではなく、工業系の学科を選択しました。

 

あくまで自分の中の核になるのは「絵を描くこと」でした。

ところが高校の電気の授業で、ダイオードの整流作用がどういう理屈で起こっているのかを学んだときに「へ~面白い」と妙に納得してしまったところから少し人生の道筋が変わります。

ちなみに電気工学や電子工学というのは興味のない人には本当に取っつきにくい学問で、ダイオードの話も割と生徒の人気が薄い授業で行われていたのですが、僕は「仕組み」を考えることになんだか妙にハマってしまい、せっせとノートを取っていました。

 

そうして、もともと自分の夢を叶えるための腰かけくらいに考えていた工学をもっと学ぶため、大学も工学部へ進んでしまいました。僕の高校は工業系以外にも、例えば調理師やファッションデザインなど、様々な専門の勉強をして卒業後には就職する人が多い学校だったので、急に大学行きたいと言い出したときは親も面食らったと思います。

 

大学では生活のメインを工学の授業に費やしながら、一方で部活動に美術部を選択しました。やっぱり絵を描くことが好きなのは変わらなかったので。

ついでに言うと、工学部というのは男ばかりで非常にむさ苦しい所なので、華やかな雰囲気のする美術部なら女の子もいるんじゃないの、なんて淡い期待をしていたのですが、そもそも工学部に在籍する女性の少なさを甘く見ていたため、異性との出会いは叶いませんでした。(工学部しかない大学だったこともあり、僕が4年間に大学関係で知り合った女子学生は2人だけでした。)

彼女をつくるためだけにファミレスでバイトをしました。

 

美術部の活動は楽しかったです。今でも当時のメンバーとよく飲みに行きます。

僕と同じように普段は美術とは違う勉強をしつつ、自身の表現の場を求める人が多くいました。

この大学の美術部というのは、特に油絵をやらねばならない、ということはなくて、定期的に行う展示会やイベントに参加すること以外は、何をしていても、何を企画しても良いというルールで、例えば機械工学科には空き地で金属を溶かして鋳造することによってシルバーアクセ(のようなもの)をつくる奴がいたし、情報系の先輩は作曲することを美術と言い張っていました。(軽音楽部は別であったのですが)

 

そういう環境だったので、今の僕には、「絵を描く」ということも単なる「ものづくり」の手法のひとつという認識があります。

何かを作る、デザインするという意味において、絵を描くことと、電子回路を組んだりロボットを作ったりすることを僕の中では同一視している部分があるのです。まぁ、これはあんまり理解されないのですが。

 

今、僕が手掛けているスプレーアートは、描き始める前の段階が重要な手法です。CGグラフィックのように層(レイヤー)を想定して、どのような順番で描き始めるかを決めるのですが、CGグラフィックのようにはやり直しが効きません。画面に吹き付けられるスプレーの飛沫(しぶき)は毎度違うし、他にも制作中コントロール出来ないことはいくつかあります。そのため事前の準備が大事になってくるというわけです。

僕はそこに、プラモデルのように絵の構成を「組み立てる」面白さを見出しています。僕にとって、絵を描くこととプラモデルを仕上げることは、作業の楽しみ方としては同じなのです。もちろん、完成品の設計図は自分が創り出している、という点で大きく違うのですが。

 

大学卒業後は世の中に関わるものづくりに携わりたいと、製造業へ就職し、縁もあって、クリーンさと高品質が要求される半導体業界の顧客に対して品質保証を行う仕事に長く就くことになりました。

絵は、しばらくは趣味の範囲で描いていて、友達の結婚式があればウェルカムボードの作成を引き受けさせてもらったり、旅に出ることがあれば風景を水彩でスケッチしたりしていました。年賀状も干支を描く手法を毎年変えたりして楽しんでいました。

 

スプレーアートを始めたのは昨年2017年の春頃からで、以前にYouTubeで見た海外の路上パフォーマーを真似してアパートのベランダで実践してみると、思ったより上手いこと描けた、というところからじょじょにハマってしまい、スプレーアート特有の制作スピードの速さも相まってトライ&エラーを繰り返し、年末には趣味の範囲を超えてガチになるに至った次第です。

 

たまに、スプレーを選んだことに何か理由はあるのか?と聞かれます。

一番の理由は出来上がる仕上がりが面白いことです。スプレーという道具があるからこそ可能な飛沫(しぶき)の具合や、すぐに乾くために比較的簡単に作れる層(レイヤー)構造。そういったもので可能な表現、出来上がりを掘り下げることにハマっている最中なのです。

 

僕が今スプレーを使ってよく描いているのは、現実のようで現実ではない風景で、それは自分の中に古くから、子供の頃から今に至るまでに触れたフィクション作品や旅先の情景をまとめて発露したものです。しかし、例えば水彩や油絵のように、筆を使った手法であったら、全く同じものは作っていないように思います。

スプレーだからこそできる表現を楽しんでいるところなのです。